安保法制を制定し、憲法を改正して自衛隊を軍隊として世界中で戦闘行為ができるようにしている今の時代を満州事変当時になぞらえる見方があります。

昨年1月、平成天皇が「今年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々,広島,長崎の原爆,東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に,満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考えていくことが,今,極めて大切なことだと思っています。」と述べたのも同じ危機意識に基づいたものと考えられます。

満州事変から第二次世界大戦終結までを描いた船戸与一さんの小説「満州国演義」を読んでいます。
風の払暁 満州国演義一 (新潮文庫) 船戸 与一

いよいよ最終巻「残夢の骸 満州国演義9」に入りました。

インパール作戦の失敗、サイパン島の陥落。
それがどういうことなのか、国民に何を強いることなのかを自分の頭で考えることなく、言われた仕事をきちんとこなすだけの官僚組織。
保身を図る政治家と軍人。その自己保身を隠すために日本中に標語が溢れる。「八紘一宇」「忠君愛国」「鬼畜米英」「贅沢は敵だ」「欲しがりません勝つまでは」「一億玉砕」
そんな「真面目な」エリートのせいで夫を失い子を失わなければならない女たち。

10月8日の朝日新聞天声人語にこうありました。
「天皇陛下が生まれた1933(昭和8)年は、東京・築地に市場が完成した年でもあった。いまから83年前のことだ。(中略)この年、日本は国際連盟を脱退する。満州国建国を批判されて孤立した。(中略)『内外で戦争に向けて大きくカジが切られた年。時代の曲がり角でした』。石黒さんの話を聞いて考えた。いまが昭和なら私たちはどのあたりにいるのか。もう曲がり角は過ぎたのか。83年先の人々は、2016年を生きる私たちをどう評価するのか。」

この国は大人を殺すだけでは飽き足らず学徒出陣、そして10代の子どもたちに特攻と称して死を強いました。特攻で死んでいった子ども達は国際連盟脱退当時は5、6歳の子どもでした。この子達は一度も選挙に行くことなく、一度も戦争に対する意思表示の機会を与えられないまま、大人が決めた戦争の犠牲となりました。

今、私達には子どもの未来を決める重要な決断が求められています。私たちは選挙を通じて意思表示ができます。街角やインターネットを通じて自分の考えを表現することができます。

後藤とみかず
1968年生まれ、47歳。 福岡大学法学部卒、2002年弁護士登録。福岡県弁護士会所属。