無責任の体系

 さて、上で簡単に述べたとおり、「無責任の体系」という現象が、戦前・戦中にかけて日本を支配していた。丸山は東京裁判の記録を分析した論文「軍国支配者の精神形態」(1949年)で、自己弁護と責任逃れに終止する戦争責任者たちの態度を取り上げ、「無責任の体系」の構造を掘り下げている。

 まず丸山が指摘するのが、日本の戦争責任者たちの指導力の欠如である。戦争体制における日本は、著しく組織性が弱く、指導勢力間が分裂しており、このことが内閣をしてめまぐるしく成立・瓦解を繰り返させる原因となっていた。事実、1931年の満州事変から敗戦までの期間に、15の内閣が極めて短期間でめまぐるしく入れ替わっている。

 さらには、指導者たちの曖昧さも問題とされる。東京裁判において、被告である戦争指導者たちや証人の答弁は、「一様にうなぎのようにぬらくらし、霞のように曖昧である」ことで共通していた。彼らは「検察官や裁判長の問いに真正面から答えずにこれをそらし、或は神経質に問いの真意を予測して先まわりした返答をする」のである。丸山はまず、この事実を浮かび上がらせるために、まったく対称的な姿勢を見せたゲーリングの発言を持ち出す。ニュルンベルク裁判において、オーストリア併合について彼が述べるには「余は百パーセント責任をとらねばならぬ。……余は総統の反対さえも却下して万事を最後の発展段階にまで導いた」。

 これとは正反対に、日本の戦犯は模糊とした答弁に終始するのだが、その一例として、大島中将・元駐独大使の三国同盟交渉の経緯に関する検察官とのやり取りを引用してみよう。

 

   検察官:私の質問に答えてください。私の言つたような同盟を主張いたしましたか、いたしませんか。

   大島:いたしません(この前の問答で既にしばしばしかり或は否で答えるように注意されている:丸山注)

   検察官:こういうふうな同盟を結ぶというリッペントロップの提案に対してあなたは反対したのですか。

   大島:日本から反対してきております。

   検察官:私の質問に答えて下さい。

   大島:私は質問を避けませんけれども、かかる複雑なことはしかりとか否ではなかなか答えられない。

                    (中略)

   検察官:私のあなたに聴いておりましたことは、・・・先程の質問にありましたような若杉の見解というものは
     とりもなおさずまたあなたの見解であつたのではないかというのであります。もしその見解にあなたが
     同意であるならば、そうであると言いなさい。そうでないならばそうでないと言いなさい。

   大島:附帯して利益としてはそういうことが浮かんで参りましよう。

 

 ここに引用したゲーリングと大島の発言内容の明快さはあまりにも対称的であるが、日本の戦犯者たちが、(そのような意図は多少あったとしても)その場しのぎの言い逃れをしているばかりではない、ということに注意しなくてはならない。より問題を根深くしているのは、日本の統治体制そのものに欠陥があった、という事実である。つまり、彼らを「恥知らずの狡猾とか浅ましい保身術とかいった個人道徳」の次元で責めさえすれば、それでいいというわけではないのである。

 より根深い次元での問題というのは、丸山によれば、「既成事実への屈服」と「権限への逃避」の二つであり、これらを「日本ファシズムの矮小性」と捉えている。「既成事実への屈服」というのは、「既に現実が形成せられたということがそれを結局において是認する根拠となることである。殆どすべての被告の答弁に共通していることは、既にきまつた政策には従わざるをえなかつた、或は既に開始された戦争は支持せざるをえなかつた云々という論拠である」。

 いくつかの発言例を挙げれてみれば、中国の軍閥との友好関係を指摘された白鳥は「私は彼らの友達ではない。…彼らに左袒するというわけではないが、しかしながら彼らのすでにしたことに対しては表面上もつともらしくしなければならなかったのであります」と述べ、日中事変への賛否を問われれば「私はその事変を早く解決したいという考えでありまして、反対とか賛成とかいうことは起こつてしまつたことでありますから、適切にあてはまる表現ではないように思いますが…」と返答している。つまり、戦争指導者にとって、現実とは作り出されるものではなく、どこからか起こって来たものと考えられていたわけである。このように既成事実が積み重なるにつれて、戦況は悪化の一途をたどり、日本はどんどん深みにはまっていくこととなったのだ。

 もうひとつの「権限への逃避」というのは、形式的な権限が自分にはなかったため、その事項については自分に責任はない、とする論理である。発言例としては、「当時は私が単なる一少尉でしたから、たといそのことを知つたとしても何もすることが出来ませんでした」、「陸軍中将になつた後といえども、私は師団長ではなかつたから何ともすることができませんでした」、「命令すべき法規上の権利はありません」といったものが挙げられる。つまり、指導者たちは「官僚精神」に基いて、権限を自らの都合のいいように使い分け、状況が不利になると「法規で規定された厳密な職務権限に従つて行動する専門官吏になりすます」ことができたのである。

 こうして「権限への逃避」は天皇の権威と結びつくことによって、各自の権限が絶対化され、権力間の分裂が激化し、無限にアトム化していくこととなる。「文官と武官が対立するかと思うとその下で陸海軍が対立し、陸軍は陸軍でまた、陸軍省と参謀本部、更に陸軍省内部で軍務局と兵務局というごとく…」。そして、各組織は相互に意思疎通が不能になり、敗戦を迎える。そして戦犯裁判において指導者たちは責任を押し付け合うという結果になるのである。

 これが「無責任の体系」の内実である。

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浅香 勇貴
1986年生まれ。西南学院大学文学部卒。京都大学文学研究科修士課程修了。 日曜コラムニスト、日曜読書家、日曜大工、日曜社会活動家、通勤電車内思想家、好事家。