すべての良書を読むことは、過去の時代の最もすぐれた人々と会話するようなものである。

                                                                           (ルネ・デカルト『方法序説』)

 

  私たち一人の人間の見識は極めて狭い。その道のどんな一流の者であろうとも、彼・彼女が知っていることなど、この世の中に存在する事柄のほんのこれっぽっちにすぎない。しかも、私たちは、先人たちと同じような失敗を性懲りもなく繰り返し、後ろを振り返ってみると、自分と同じような過ちを犯している者が多くいることに気づく。なぜ人間はこれほど学ばないのか。なぜ人間は同じ愚挙をこれほどまでに繰り返してしまうのだろうか。

  上に掲げた短い題辞が示すように、私たちは謙虚さとひたむきさをもって先人たちに教えを請わなければならない。自分が犯した失敗は、すでに誰かが同じように経験している。自分が着想したことがらは、すでに誰かが同じようなことを考えている。先人たちの諸経験は、良きにつけ悪しきにつけ、私たちが多くを学ぶことができる宝箱のようなものである。

  このシリーズ「書評」は、このようなことを念頭に置いて、過去のすぐれた人物たちと会話し、そこから多くのことを学び取ろうと企画されている。筆者が取り上げる本は、主にアカデミックなものであるが、できるだけ平易に書いていこうと思っている。読者のみなさまがここから何かしらのものを得、自らの頭で考えるきっかけを作ることができれば、望外の喜びである。

  第1回目は、精神科医であり精神病理学者である中井久夫(1934-)の論稿「いじめの政治学」を取り上げ、いじめという現象について考えていこう。

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浅香 勇貴
1986年生まれ。西南学院大学文学部卒。京都大学文学研究科修士課程修了。 日曜コラムニスト、日曜読書家、日曜大工、日曜社会活動家、通勤電車内思想家、好事家。