言葉には、私たちの生きる無秩序な世界をきれいに整理してくれたり、ぼんやりと目の前に繰り広げられている現象をくっきりと浮かび上がらせてくれる不思議な力がある。日々生活をしていて何となく気づいていたことが、それを与えられた瞬間、「ずばりそれだよ。私が見ていたものは、まさにそれなんだ!」と急にくっきりと像を結ぶことがある。そのような力である。

 

本コラム「言葉の道具箱」の第3回目は、「疎外された労働」という言葉を紹介しよう。

 

 

疎外された労働

 この概念は、19世紀(あるいは20世紀といってもよいかもしれない)の大哲学者カール・マルクス(1818-1883)が発展させ、後に有名になった概念である。マルクスが26歳のときに書いた未定稿を編纂した『経済学・哲学草稿』の第一草稿で考察されている。

 

 まず、疎外(独:Entfremdung、英:alienation、仏:aliénation)とは、「本質的に自分に所属するはずのものが自分自身から離れ、疎遠なものになること」である。ここで問題となるのは、疎外そのものというよりも、疎外されたものによって逆に人間が支配されるようになることである。マルクスは『経済・哲学草稿』の中で、次の四つの疎外を指摘している。

 

1.労働生産物からの疎外

  労働の生産物は、本来は労働者自身のものであるはずだが、賃金労働制ではすべて資本家のものになる。労働という生産行為の結果からの疎外といえる。

 

2.生産行為からの疎外

 疎外は、生産行為の結果、つまり労働生産物からのみではなく、生産行為そのものの内部でも生じる。つまり、労働という行為は本来自分の本質に属しているはずだが、それが他人のものになってしまう。それは労働者が他人に従属し、強制された労働に従事するということを意味する。そうすると、労働者はやりがいを失い、労働に対して苦痛を覚え、彼らの肉体は消耗し、精神が頽廃してくる。

 

3.類的存在からの疎外

 類的存在とは、自由な意識的活動を行うような存在のことである。本来ならばそれによって、人間は自らの労働、生命活動、生産的生活そのものを自分の意欲の対象とする。つまり、労働は、本質的に人間の意識的な目的であり、創意工夫を促し、意欲を掻き立てるものである。しかし、疎外によって、生産活動は肉体的生存のための単なる手段に堕してしまい、退屈なものへと変貌する。

 

4.人間からの人間の疎外

 この三つの疎外から帰結するのが、人間からの疎外である。他人からの疎外と言い換えてもよいだろう。人間が労働生産物から、生産活動から、類的存在から疎外されるのと同じように、他人の労働および他人自身からも疎外される。その状況では、人は他人を人間らしい存在として見るのではなく、自らと同じような疎外された労働者として見るのである。

 

マルクスは、これら四つの疎外を引き起こす労働のことを「疎外された労働」というのだ。ここでいう「疎外された労働」というのは、資本主義社会での賃金労働のことである。なお、賃金労働というのは、誰かに雇われて働き、その対価として賃金を得る労働のことである。現在ではサラリーマン、アルバイトスタッフ、派遣労働者などの仕事のことであり、自営業と区別される。「疎外された労働」の帰結として、人は自分の仕事の意味がわからなくなり、だんだん人間らしさを失っていくのである。

 

なお、本コラムでは蛇足になるが、疎外されたもの(生産物、生産行為、類的存在、人間)は誰に帰属しているのかといえば、マルクスによると、それは資本家、ということになる。疎外された労働は、私有財産を生み出して、それを所有する資本家が労働者を支配することとなるのだ。

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浅香 勇貴
1986年生まれ。西南学院大学文学部卒。京都大学文学研究科修士課程修了。 日曜コラムニスト、日曜読書家、日曜大工、日曜社会活動家、通勤電車内思想家、好事家。