言葉の使い方

 

以上、「疎外された労働」という言葉の内容を解説してきた。賃金労働制が支配的になっている現在の社会において、どれぐらいの人が自分の仕事にやりがいを感じているか考えてみると、これは今でもかなりの程度妥当するように思われる。読者のみなさまはいかがだろうか。

 

確かに、現在の労働者は、自らパソコンなどの生産手段や特殊な知識や技術を持っている人も多いため、現代の資本主義のメンバーを、マルクスが後の『資本論』で述べるように、労働者と資本家とにきっぱりと二分することはできない。また、マルクスの念頭にある賃金労働は単純作業を主とした工場労働であるため、現在の介護や看護など対面サーヴィスを行う「感情労働」では、疎外感を感じにくいとされることもある。

 

 しかし、1980年代以降のいわゆる「新自由主義」的なグローバル化が進行した社会は、労働環境面でマルクスが生きていた19世紀に似通ってきている。つまり、労働者たちが19世紀から20世紀にかけて粘り強く獲得してきた保護が撤廃されており、労働者は剥き出しのまま労働市場に投げ出される。

 

 職に就いた場合でも、労働強化が進行しているため、低賃金の長時間労働に従事させられている人も多い。分業が極端に進行した今日の日本社会の労働者は、これらの疎外によって自らの労働の意味を喪失し、経済的にも心理的にも不安定な状態に置かれているのである。

 

 「疎外された労働」という概念は、今から150年以上前に観察された事実から生み出されたものである。これだけ雇用状況が流動化し、不安定化している目下の日本社会では、この概念をもう一度思い起こし、労働の意味を問い直す必要があるのではないだろうか。人間が、資本のためではなく人間のために、人間らしい生き方を取り戻さなければならない。読者の方も、どうすれば「疎外された労働」という問題を克服できるのか自分なりに考えてほしい。

 

冷戦終結後、マルクス主義の影響力が落ちたのは確かだろう。しかし、マルクスという人間自体は、現在にいたるまで生き続けているのである。

1 2
浅香 勇貴
1986年生まれ。西南学院大学文学部卒。京都大学文学研究科修士課程修了。 日曜コラムニスト、日曜読書家、日曜大工、日曜社会活動家、通勤電車内思想家、好事家。