日本の社会運動史

 それではまず、社会運動の歴史を概観しておこう。戦前の社会運動の中心は、労働運動である。資本主義が日本社会にも定着すると同時に、労働者が大量に生まれてくる。どこの先進国でも経験していることだが、彼ら/彼女らは、劣悪な状況で長時間労働に従事させられていた。そのような状況の中で、大正期に労働組合が組織され、労働者の待遇改善が目指された。また、女性の公的領域への参入、地位の向上を要求する女性解放運動も明治の末期に生まれている(第一派フェミニズム)。

 戦後になると、相対的に小規模な労働運動、米軍基地反対運動などが展開するが、その中でもっとも広範な広がりを見せたものは1960年の日米安保条約改定反対運動だろう。この発生の直接的なきっかけは、日米安保条約の批准を自民党の議員が強硬採決したことであったが、原因は民主主義が脅かされるかもしれないという人々の意識であった。このデモに参加したのは戦争体験者であり、彼らは安保改定が通れば、空襲や餓え、戦時中の無秩序な状態に戻ってしまうという意識を共有していた。このような「戦中の集合的記憶」が呼び覚まされ、人々は立ち上がったのである。全体像については不明な点も多いが、規模は数万にのぼったといわれている。結果は、総理大臣の岸信介の退陣で終わった。

 次の代表的な運動は、68年の学生運動(全共闘運動)である。戦後のベビーブーム世代が世界中で巻き起こした一連の運動の流れに棹さすものだが、その発生原因や社会的な主張ははっきりとしない点で60年安保の運動とは性格を大きく異にする。運動の背景には、大学の大衆化、旧来の因習に対する学生の不満、経済成長に伴う社会の急激な変化に対するとまどい、敷かれたレールの上を走るだけの空虚感などがあるのだが、最大公約数的にまとめるならば学生による古い秩序への反抗であったといえるだろう。この運動は60年安保のように広範な社会層を巻き込むことなく、学生中心の運動にとどまり、69年も暮れ頃になれば下火になっていった。

 平和に関する運動も起きてくる。代表的なものが、ベトナム反戦運動である。60年安保に参加した人たちが中心となって60年代に盛り上がりを見せた。また、高度成長の負の側面として起きた公害に対する抗議運動も発生する。それから、法的に明文化された男女平等の実質を問題にする第二波フェミニズムが生まれ、被差別部落や在日コリアン、沖縄など国内マイノリティが運動のテーマとして浮上してくる。

 このように昭和期の社会運動が全体的に「熱い」盛り上がりを見せるのは、1960年代である。一方で、70年代に入ると社会運動は相対的に低調になっていく。というのも、戦後の混乱期を経て、高度成長と都市化という社会の急激な変動が落ち着き、社会が安定化するのがこの時期だからだ。変化に対するとまどいもなくなり、人々の生活は安定し、現状に対する不満も少なくなる。それと同時に、若い世代には政治的関心への低下が起こる。そして日本は、石油ショックにより経済的に苦境に陥る他の先進国を尻目に、なお経済成長を続け、80年代には世界の先進国の中でも最先端の位置に躍り出るということになる。

無成長時代の「社会運動」と現状の厳しさ

 以上、ざっと昭和期の日本の社会運動史をたどってきたが、そこでの前提は、経済成長が引き起こす大きな社会構造の変動であった。平和の維持、政権の打倒、女性の権利拡張、マイノリティの認知向上、環境への配慮など、何らかの主張を掲げて、何かを成し遂げるための運動であったのだが、それらは社会の拡大局面に対応するためのリアクションだったと捉えられる。

 では、今回の安保法制をめぐる運動(福島第一原発事故後の運動も含めてよいだろう)に通底していたものは何だろうか。こちらも社会の構造転換が巻き起こしものという点では共通している。しかし、昭和期と違うのは、縮小へと向かう転換であるという点である。先進国としてこれまで(無意識のうちに)享受していた特権を失いつつある現在の社会の閉塞感へのいらだちと、将来に対する不安へのリアクションとしての運動。経済成長の頭打ちとそれに起因する財政の行き詰まり、そこで起きてくる不利益の配分(誰の利益が削られるのか)への不安と疑心暗鬼の表明としての運動と解釈できる。

 参加者の主観的な意図と動機においては、「戦争反対」「打倒安倍政権」や「原発の再稼働反対」であり、参加者はそのようなスローガンを掲げていた。しかし、そこに通底していたのは、どうにもならない社会的閉塞感へのフラストレーションと、過去の世代ができていたことが自分たちにはできなくなってしまうという漠然とした不安だったのである。このような意味で、今回の社会運動は、権利獲得や社会的認知を目的としたポジティブな運動というよりも、いらだちや不安を吐き出す表現型の運動ではなかっただろうか。その点で、68年の全共闘世代との共通点を見出すことができる。

 それでは、1960年代末に社会運動を行っていた若者(いわゆる「団塊の世代」の一部の人々)と2010年代の若者を待っている未来はどのようなものだろうか。前者にとっての未来は、1970年代以降であった。1970年代は、私たちが現在イメージする「昭和の日本」である。日本型経営、父親が会社で働き母親は家事をするという家族構造、耐久消費財の普及など。

 そうした中で、学生運動を終え、企業戦士となり会社に忠誠を誓い、結婚して核家族を形成し…となっていったかつての学生たちには、1970~80年にかけて安定した経済成長が待っていた。彼らは内心違和感を抱いていたレールの上を走ることを選んだ。(ただし、過度に良い面のみを強調するのも公平性に欠けるため、彼らの苦労にも言及しておかなければならない。この世代は、構造的に人口のボリュームが多く、就学期間にはすし詰め状態の教室、受験戦争、就職してからは郊外からの長時間通勤、バブル崩壊以降の自殺者の激増、年金支給への不安などが挙げられよう。さらには、実際に安定的に老後を迎えられたのは大企業に勤めたサラリーマンのみである。しかし、社会全体としても人間のメンタリティとしても拡大基調であったのは確かだ。)

 一方、2010年代の学生たちはどうだろうか。残念ながら、彼らに安定した未来は待っていない。彼らを待ちうけているものは、「自由」とセーフティネットのない「競争」である。「自由」と「競争」、それらはともすれば美名のもとに語られがちだが、実態としてはその裏側に「不安定」という現実が不可避的に張り付いており、かつてセーフティネットとして機能していた経済成長は失われている。この中で、学生は不確実な将来を暗中模索するしかない。そこでは、「自由」には「責任」が伴い、「競争」に巻き込まれる大多数の「普通の能力しか持たない人々」は割を食うことになる。そこに待っているのが「自己責任」という規範的な制裁であり、日常においては変わり映えしない毎日である。今回運動に参加した学生には(にこそ)、このような厳しい現実が待ち受けている。(戦後の)昭和時代にあったような、多くの人が成長軌道に乗れる安定した社会はもう存在しないのだ。

 人々の主観的な認識としても、現在の日本社会が、よい方向に向かって進んでいると考える人は少ないだろう。むしろ、進んで行った先に待ち構えているのは崖である、という意識をぼんやりと持っている人が多いのではないか。しかし、それと同時に、どこへ向かって進むべきかを説得的に示してくれるオルタナティブなビジョンもない、もしくは逆にビジョンがありすぎてどれも陳腐に見える、というのが大方の認識ではないだろうか。要するに、私たちは迷子になっているのである。歩んできた道はわかっており、ここまでは比較的すんなり来たのだが、これからどこに行けばいいかがわからない。そこで、「これまで歩んできたように全力で進めば、もう一度うまくいくのではないか」という願望思考と、「いや、このままではいけない。新たなビジョンが必要だ」という未来思考がしのぎを削りあっているというのが現状だろう。

 現在の日本は、いたるところで指摘されているように、非正規雇用の拡大、格差と貧困、少子高齢化、中産階級の崩壊、財政赤字の拡大、長期にわたる不景気などの問題を抱えており、決して明るくはない状況だ。これまで享受してきた先進国の特権を維持できなくなる不安を抱えている。そしてこれは程度の差はあれ、先進諸国に共通している問題である。その帰結として発生しているのが、一方で、現状を根底から覆してくれそうに見えるリーダーを待望する雰囲気(いわゆる「ポピュリズム」)、他方で、草の根的に沸き起こってくる市民運動であろう。

 このような逆境下で、日本が抱えた諸問題は、現在の若者が解決しなければならない課題である。社会を改良していうという広い意味で、彼らにとっての「社会運動」の本番はむしろこれからである。

 

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浅香 勇貴
1986年生まれ。西南学院大学文学部卒。京都大学文学研究科修士課程修了。 日曜コラムニスト、日曜読書家、日曜大工、日曜社会活動家、通勤電車内思想家、好事家。