これからの社会運動

 以上、規範的・具体的なことがらについて述べてきた。社会運動と聞くと、古くは社会主義運動、戦後は学生と結びつき、一部の過激な主張や行動をする人と思われる風潮がある。社会運動(特にデモ)には意味がないというニヒリスティックな見方も横行しているが、筆者はそのようには考えていない。確かに、単発的な運動で要求が通ることはほぼない。しかし、すでに述べたように、一過性のコストで利益が得られると考えること自体が短絡的で間違っているのだ。社会運動を力強いものにしていくためには、根気強く多くの人を巻き込み、孤立している人間をネットワーク化する忍耐力と意志が必要である。社会運動を必ずしもデモ、ストなどのような「硬い」ものだけに限定するよりも、むしろ普通の人が生活圏でやれることをやり、それと「硬い」運動とつないでいくことが重要だろう。

 私たちが肝に銘じておかなければならないのは、主権者として、冷静な頭脳と熱い心を持って主体的に行動することである。どのような心持ちで何をすればいいのかはすでに述べたとおりである。では、いつ行動すればいいのか。それは、逆説的だが、選挙以外のときである。余暇など自分のために使っている時間のほんの一部でも社会(他者)のために使う。それが拡大していけば、社会はよい方向へ向かって歩きはじめ、長期的には大きく状況は改善されるだろう。

 「社会を変える」。それは巨大な岩を一本の釘と金槌で地道に砕いていくようなものである。それは一人で行うものではない。20年、30年、50年後も生きている若い世代がビジョンを共有し、まとまって行動する。それが、筆者が自分に課している宿題でもあり、活動の原動力でもある。本稿を読んでいただいた読者の中から、公共マインドを持った人が一人でも多く現れることを筆者は願っている。

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浅香 勇貴
1986年生まれ。西南学院大学文学部卒。京都大学文学研究科修士課程修了。 日曜コラムニスト、日曜読書家、日曜大工、日曜社会活動家、通勤電車内思想家、好事家。