本記事は 若者は政治を変えるのか  の関連記事です。こちらと合わせてお読みください。

Q: きっかけを教えてください  
熊川:大学のゼミです。そこで田村先生に出会ったことと、うちの家自体がリベラルな家だったことも影響しているかなと思います。父親は教員で同和教育や、長崎の教員組合の平和学習ツアーに一緒に参加したりとか。歴史に 偏見を持たずに見るという目はそういう中で養われたのでは。
Q :家庭の中で政治の話をするというのはどういう感覚なのでしょうか。ニュースを見ながらお父さんが解説して くれたりとか?
熊川: します。うちの父親は NHK のニュースが大好きで、時事ニュースや政治の話をよくしてくれました。母親はニュースを見てどうこう言うという感じではないけど、本をたくさん読んでいて、哲学書等をもとに「生きると は何か」をよく話したりしていました。  
Q: 家にたくさん本があって、それを読んでいたりとか?  
熊川: そうですね。哲学書とか、小説以外の本もありました。新書とか。今思えば、大学の授業ででてきた本が実はうちにあって、それに気づいたりとか(笑)。きっかけとしては大学のゼミもあるが、小さい頃からの素地もあ ったのだと思います。
Q: 連れられてデモに参加したりとかも?
熊川: 両親とはありませんでした。2013年くらいに川内原発再稼働反対の集会が川内であったのですが、そこに 両親と姉が参加していたようで、それを言われてびっくりしました。ちょっとうれしくなりました(笑)  
Q: 関心を持つから行動を起こすまでには大きな一線があると思うのですが、熊川さんの場合、ご両親の影響とか ではなく、自分の中から出た動機によるものだったのですか?
熊川:田村ゼミの中で福岡弁護士会の人と接して弁護士の人と仲良くなったり、市民運動をしている人たちと繋がったりとか。市民運動家の人のほとんどが若者を利用しようとする人ばかりでしたが、そうではなくて若いからと言って祀り上げるのではなく、今の私たちの声を上げづらい時代背景を汲んでくれ、知恵を貸してくれる方が少数ながらいました。また、私は年配の市民運動家にはマイナスイメージしか持っていないしあんまり関わりたくはないのですが、その中で一人だけ親代わりと言えるほどお世話になった人がいました。そういった人間関係がデモの実行へと繋がりました。私の中ではデモという行為が抵抗なく自分の中に入ってきています。時系列的には、そういった活動をされている方々と仲良くなった後にデモというものを知りました。おかしいと思うことに 対して声を上げることのできる手段があるのかと知って嬉しくなりました。
Q:FYM 立ち上げについて伺いたいと思います。どういう風に生まれたのでしょう。誰か「やりたい!」て人がい て、作り上げていった形ですか?
熊川: それ、私ですね(笑)7月に入って国会がおかしなことになっていって、安保法制が進められていって、曲がりなりにも法学部で憲法を学んだりしていて、なにか違和感を感じていました。与党の進め方や内容に。5月ごろからシールズが大々的にやりはじめて、そういう動画も見ていました。あとは自分の中では弁護士さんや市民運動家の繋がりがあったから、デモのやり方等の知識はもっていた。なにかトラブルがあっても周りの人たちに聞くこともできるという点でハードルは低かった。それまで、同年代でこれほど関心を持っている人はいないと

思っていたんです。そしたら国会前に集まっている人がいて、福岡でもできるんじゃないかとおもった。そしたら仲間も見つかってデモを始めようという事になりました。福岡の市民運動をしている人たちは年配の人が多いから、シュプレヒコール!みたいな感じで、なんかダサい(笑) 自分たちでデモを主催したら自分たちの好きなコールもできるし、自由に主張できる。準備は大変だけど、コールや主張にもやもやを感じることもないし、 それでやろうということになりました。  
Q: 当時の映像を見ると、すごく多くの人が集まっていますが、どういう繋がりであれだけの人が集まったのでし ょうか  
熊川 :フェイスブックとツイッターのアカウントをつくりました。あとはそれぞれの知り合い、大学のゼミに声をかけたり、先生の授業で許可を貰ってビラを配ったりして、ひたすら拡散告知をして集まったという感じ。もとも と西南大田村先生と九大の出水先生のゼミという素地があったのが FYM の場合大きいと思います。そこで政治 や社会のことを話せる場があった。
Q:二つのゼミの人は、みんな入っているんですか?なかには入らない人も?  
熊川: もちろんです。逆に、ツイッターなどをみてきてくれた人も。そういう出会いがあったのは活動してよかった と思う点です。FYM で活動して社会が変わったことなどの実感はあまりない。南スーダンにも派遣されるし。おかしくなっていく社会の中で、これっておかしいよね?て話し合える仲間ができたこと、それ自体で自分は 良かったと思っています。  Q 自分はマイノリティなんだっていう意識って辛いですよね  A でも逆にマイノリティだからこそまったくの赤の他人とも深い話ができたり、共感で繋がることができる。逆にマジョリティだとここまでの繋がりと言うのはなかなか生まれないと思います。だから、私はマイノリティで 良かったなあって感じです(笑)  
Q:では今度は、活動していくうえで障害になったことはなんでしょうか。
熊川: 自分が権力側になってないかということ。これだけ人数が増えてくると感じたりしました。FYM は個が集う場所というイメージで私は思っている。事務局のように役割分担ができると違うなと思っていて、一人一人が平等に発言権をもっているのはいいなと思っていたので代表はあえてつくらなかった。外部からの依頼による活動が増えると事務的な面で追いつかなくなるのでしかたなく執行部をつくってやっていた。しかし途中で、 そういった依頼をこなすことばかりになってしまっているという意見がでて、FYM メンバー同士で話す場であ ることが大事だと立ち返って執行部も解体し、外部の依頼もあまり受けないようになりました。
Q :続けるうえ での障害は、最初の意識を持ち続けることが難しかったという事でしょうか
熊川: そう。外に向かった活動も大事だけど、関心があるけど何をしたらいいのか分からないという人のために私は FYM をやっていた。私たちのような大学生がやっている場なら、きっと参加するハードルが低くなると思った ので。  
Q:活動をするうえで、炎上や誹謗中傷などへの不安はありましたか?  
熊川: 他のメンバーは思っていたかもしれないけれど、自分はそういうのは全然ない。言わせとけばいいじゃんと言う感じ。赤の他人がどのようなことを言おうが、先生達や周りのメンバーなど自分のことを分かってくれる人は しっかりと身近にいるので。
Q :強いですね(笑)  
熊川: 家族も離れているが新聞やテレビの報道を通して見守ってくれている。あんたが信じてやるって決めたことな
らやりなさいと言ってくれているので、安心できている。だからあまり誹謗中傷とかは気にならない。けどち ょっとは気にしていました(笑)そういったのを見て、違うの(笑)とか。NHK の討論番組にでたときに「あ いつの教師は田村で韓国よりだから」みたいなのがあった。違うのになあ(笑)と思いながら。
Q: 他の人もそんな感じ?  
熊川: 国会前でスピーチをしたメンバーに対して、東大の教授が言ってきたりとか。良い年した大人が学生のいう事 にあれこれ言うなよと思ったんですけど  
Q:なんでそんな潰そうとするようなことするんですかね……(笑)
熊川: そうそうそう(笑)逆にみんなで、やったね!東大の教授に認められたよ(笑)みたいなこと言い合っていま した。東大の教授がこの程度なのかって思っちゃいましたね  
Q :昔は「大人」はみんな物事をちゃんと考えていて正しいと思っていたんですけど、そんなことないなって個人 的に思います
熊川: 分かります。大人とか学生とか関係ないんだなと思って、自分の性格が開けたなと思いました。私は私で自分 の考えを述べればいいし、分かってくれる人はいるし。そういうことは思った 。
Q :お友達の間で気軽にできる?  
熊川: 人に寄りますよね。フェイスブックで告知をしたりするんですけど、地元の友達から「一介の学生が首相にそんなことを言って」みたいなメッセージを送ってきたり。お上のやってることに口出すなみたいなことを送っ てきたり(笑)  
Q: なるほど(笑)
熊川: 中学校の頃の同級生からコメントがきて、「めっちゃがんばってるんだね!私も頑張らなきゃ」みたいなコメントがついて嬉しかった。一方で、長文で「感情論だろ」「理論的じゃないだろ」みたいなのをひたすら改行なしの長文で送られたりとか(笑) ドーモに取材されたとき、見たって言われたりも。それはちょっと嬉しかっ たですね(笑)
Q :バラエティ番組に取り上げられるってまたちょっと違いますよね
熊川: その番組での取り上げられ方は良い感じでした。だいたい向こうの意図的な編集があるものですけど(笑  
Q: 安保法制がとおった、参院選でも結果が出なかったその中で意識の変化はあったか?  
熊川: 安保法制が成立した時は「はあ」ってなりましたね(笑)なったけど、日常の中から声をあげるってことだし、別にそういうことになったからといって自分の主張が曲げられたとも、通用しなかったりなくなったりするわけではない。私は私として意見を上げればいいし、政治が分からないという子と対話していけばいい。どれだけ続けてても安保法制はなくならないかもしれないけど、そうやって話す中で、政治のことを話す人が増えるのは良いんじゃないかと思う。こういう風にお茶しながら話せること(当インタビュー)でもいいんじゃないか。社会に訴えかけるという方法にも限界があるんじゃないかと思う。私の周りで日常の中でこういう話を広げてい ければいい。1対1で喋るからこそ引っかかることがある。  
Q:FYM の活動を振り返ってみて反省とかありますか?もっとこういうことをしていればよかったとか。  
熊川: あるといったらたくさんあるんですが、もうちょっと一生懸命やれれば良かったと思っていたりとか(笑)。  
Q :ストイックですね(笑)
熊川:こういうイベントもできたんじゃないかとか。怠け癖があるので(笑)  
Q: たとえばシールズの人たちは、普通の日常の中で政治について話し、デモをするというテーマでやっていたと 思うのですが、熊川さんにとってこういった活動は日常ですか?それとも非日常?
熊川: でもなんか趣味みたいな(笑)デモが趣味な学生なので(笑)
Q :デモが趣味な学生(笑) みんなで集まって声をあげるのって楽しくもありますよね。
熊川: 私けっこう出しゃばりなので(笑)楽しいからやっているというのもあるし。こういう言い方をすると語弊があるかもしれませんが(笑) そういう意味では政治というのは自分にとって他人事かなと言う感じはあります。 自分は自衛隊に所属しているわけでもなく、奨学金は借りているけど就職先も決まっていて返す当てはある。自分の生活が制度によって逼迫してるわけではない、だからこそ声を上げられるのかもしれないが。罪悪感と言う のはある。ある意味何も理由がないと思ってしまうことがある。
Q :自分も、こういった活動は勉強と言う面が強く、生活に困っているわけでもなく、近くの困っている人もいな い。共感と言うものを出発点にしているわけではない。それは引け目に感じることがあります。
 熊川: 引け目!それですね。けどやっぱりおかしいなって思うから行動する。ただ、それによって当事者からしたら迷惑になってしまうかもしれない。そこを忘れちゃいけないなと思います。そういう人をないがしろにして反対と叫ぶのは違うと思う。言葉としては反対をいうが、そういう人もいるということを頭の隅においておかなきゃいけない。結局自分は当事者じゃない、なのになぜしているんだろうと考えたり。正義感や、使命感など彼らの為に活動している、と言う感覚で活動するのも違うな思っています。自分がいずれそうなるかもしれないという のもそうだし。難しいところではある。
Q:「何も考えずに反論だけしている」というような批判もあるけど、こういった問題意識の中で活動しているこ とがなかなか伝わらないのが惜しい。情報の伝わり方として仕方ないところもあるかもしれないが
熊川:そこは気にしててもしょうがないという気になる。言わせておけばいいし、そこだけに焦点絞っていられな い。 反論するためにやっているわけじゃないので、自分のしたいことをやっていく。逆に、ぜんぜんあったことなく ても共感してくれる人もいる。環境もあるし
Q: 環境っているのは大きいですよね。  
熊川 :ですね(笑)人との出会いとか。大学時代の出会いがなければこうなってなかったと思う。
Q: 投票に行かないことを意識が低いと批判する流れがあるけど、そういうのは違うと思っています。環境があっ たからこそ  
熊川:けど、それすら自分たちの選択によって獲得してる環境ではありますよね。偶然とかではなくて。
Q :今はどんな活動を?
熊川:FYM としてはやってないですね(笑)個人としては水俣病ですね。胎児性の水俣病患者にきてもらって話を聞いたり。関わってきた学生同士のシンポジウムを行ったり。公式確認から60年たち、学校で習う水俣病って、一行くらいしかない。私も水俣病というものを終わった物と思っていたが、2013年の福岡水俣展に田村先生の誘いで参加し、ゼミ合宿でも水俣にいった。そうすると時間はたっているのに、そこには患者さんがいて、認定訴訟を起こしていたりして。差別されることを恐れて声を上げれなかった人々が何十年越しに声をあげていたりとかがあって、「終わってない」ことをまざまざと見せつけられた。いろんな社会の物事に通じるものを水俣に見出して、通ってきた。それを言語化する場をもちたいと思い、今度イベントをする。水俣と関わっていたこ とも今の私の活動の原点にある。  
Q :そういう「被害者」のようなところに直接関わっていけることってすごいと思います。自分にはなかなかでき ない……。
熊川: これも育った環境なんですかね(笑)先入観をもたないような教育を、ことあるごとに父親との関係の中で学びました。普通は年を取っていく中で経験から物事を判断したりするようになるけど、そういうことがない父でした。若い人からも学ぶことばっかり、みたいな。小学校の時に同じクラスに自閉症の男の子がいて、重度で会話ができず、ひたすら同じことを繰り返したり、規制を発したりと言う子だった。けど仲が良く、お家にお邪魔したりしていたが、それに対して父がいう事もなかった。世の中にはいろんな人がいるということを学ぶことを望んでいたんじゃないかと思う。水俣の患者さんと交流するときも、その人のバックボーンは見ずに、目の前の人と関わることをしていた。背景とかを先に知ってしまうと、先入観が生まれてしまうが、それを考える前に接してしまう(笑)。今思い返してみれば、自閉症の彼と小学生の時に接していたことで、そういった接し方が自 分には染みついたんだと感じます。
Q: シールズに参加していた人たちが市民連合に合流していたりしているけど、市民連合ふくおかにはなかなか若 者がこない。熊川さんが市民連合の活動に参加しないのは何か理由が?
熊川: 去年は就活で忙しくなっていて、その後は水俣に月一で通い始めてしまったりというのはあります。これを言ってしまうとあれですけど、市民連合は選挙の戦略などをテーマにしていて、組織的に動いてる部分が多く、なにかイベントをするにも「こなしてる感」を感じてしまいます。それならイベントに参加するだけでいいし自分は投票したいところに投票すればいいと思っています。それよりも、水俣のイベントをやりたいというの があるし。政治問題に関心がなくなったわけではないが、個人的にやれることはあるし、FYM のメンバーとたまに会って、そこで政治や社会について話せればいいし、私は本来そっちを目指していました。別にどこかに 所属して何かをするというのに重きを置いていないっていうのはありますね 。
Q:FYM、シールズ初めとした、若者の運動に対して「ノリや空気でデモをやっているだけ」のような言説があり ますが、熊川さんはどう思いますか?
熊川: そういう批判は、あるっちゃあると思います。ただ、シールズにしても、デモがすべてだと思っているわけではないだろうし、わざわざ反論することもないと思います。私はノリできてもいいんじゃないかと思います。そのあと、振り返ってみて「きっかけ」になるかどうかはその人次第で一人一人違う。ノリできて、それで終わってしまう人もいるかもしれないし、それが種になって開くこともあると思います。どうなるかなんて誰にも分か らない。  
Q:FYM にしてもシールズにしても、個々というのが重要なテーマになってますよね。団体としてではなく。
熊川:個人をないがしろにすることが一番ダメだと思ってやっていた部分がありますね。「FYM」として、団体としてになってしまうのがダメだと思う。活動する上で仕方ない部分はありますが、個々が忘れられてはいけないと いうことは思いながらやっていました。どうしても、傍から見れば「FYM」になってしまいますけど。それは仕 方ないと思います。
Q: 今後、どういう関わり方をしていきたい?
熊川: でも、仕事の中でしていく感じになると思います(笑)。むしろそのためのこの職を選んだというのはありますね。1年目決まっている会社はあって、お給料もけっこうちゃんとしているところだったんですけど。たぶん、新聞記者になるよりは休みがもらえるような(笑)その中でも関わることはできると思うが、水俣の現状や今の社会に対して、直接書くことで伝えることをしたいという思いがあった。職業がこれからの私の関わり方を 表していると思います。
Q :ありがとうございました。   
アイポス編集部
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