「若者は政治を変えるのか」、私たち「IPOS」は安保法案に反対するために立ち上がった若者たちがどのように政治に関わり、行動を起こすに至ったのかに焦点を当て、福岡の若者団体「FYM」(Fukuoka Youth Movement)のメンバーにインタビューを行いました。インタビューの中で私たちは彼ら彼女らが政治に興味を持つ、あるいは行動を起こすきっかけを与えた“環境”に着目し、中でも彼ら彼女らが行動を起こすためのエネルギーが醸成された場として大学のゼミが大きな存在であったのではという思いに至りました。そこで、2017年4月25日、FYMのメンバーが所属していたゼミの担当教員である出水薫教授(九州大学法学部)に「IPOS」のインタビューに応えていただきました。
 若者が起こしたムーブメントとは一体何だったのか、出水教授は当時の運動について冷静に分析しつつ、大学教員として「FYMのメンバーにはこれからFYMとして声を上げたことをどのように背負っていくのか誠実に向き合ってほしい」と言います。社会の動向が目まぐるしく変わる今、彼ら彼女らの行動を目にして心を揺さぶられた私たちも改めて当時のムーブメントについて誠実に向き合い、当時の自分自身の思いと今の自分自身を見つめなおすことで今後、自分がどこに進んでいきたいかの指針を見つけることに繋がるのかもしれません。出水教授のお話は、答えの見えない現代社会の中で様々な経験をしながらそのたびに自分と向き合い続けることの大切さを考える機会を与えてくれます。


IMG_7938_R
-政治や社会問題について興味・関心を持つ段階から実際に行動に移すまでには大きなハードルがあると考えています。社会に対して何かしらの声を上げれば賛同だけでなく批判も返ってくる。ある意味、日本社会に声を上げづらい閉塞感が漂っている中で
FYMのメンバーはその空気をぶち破って行動を起こしました。私たちはメンバーたちにインタビューをする中で、彼らが行動を起こすに至ったエネルギーが大学のゼミで醸成されたのではないかと考えまして、今回、FYMの生みの親でもある出水教授にお話を伺いにきました。

 出水教授:生みの親というわけではありませんが…(笑)。FYMメンバーが自分たちで呼び掛けて行動を起こしたので、僕らが誘ったわけでも仕向けたわけでもありません。ただ、その関心に沿って一つ確認しておこうと思います。関心と行動の間には、“溝”というか距離があり、越えなければならないハードルがあります。そのハードルを越える時に、比喩的な言い回しをすれば、“触媒”となるような場所が必要だと言える。例えば、SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動:Students Emergency Action for Liberal Democracy – s)にとっては、その一つの要因が高橋源一郎ゼミであった可能性はあるのではないでしょうか。「行動を起こす」というのは一人ではできないことですから。要するに、誰かと繋がって共同作業を行った経験がある人が共感してくれて、なお且つ、共同作業を行う雰囲気が既にある場所があれば、そこが出発点になりやすいというのはあります。それは今回に限らず、何らかの運動を立ち上げるときには気心が知れている仲間がいて、呼び掛ければ手伝ってくれる関係性や共同作業ができる場所が必要でしょう。それが福岡においては、西南学院大学の田村教授ゼミや我々のゼミだったのではないでしょうか。

 SEALDsFYMによる運動の見え方

 出水教授:それにしても、SEALDsFYMにしてもマスメディアが注目して報道したことが、実際に彼らができたこと以上に評価を高めてしまった側面があります。本人たちにも自覚はあると思いますが、やったこと以上にそれが大きく見えてしまっている。それと、例えば、労働組合の青年部やある政党の青年組織など既に認知されている組織であったならマスメディアは最初から取組を取り上げなかったのではないでしょうか。そういう既存の組織とは関係なく見える人たちが立ち上がったからマスメディアが飛びついたという側面もあります。マスメディアは、既存の組織が何をしようとも「その組織はそういうものだ」というステレオタイプな思い込みや前提があるため反応しません。

S__12132374
出水教授:そういう意味では、既存の運動体や政治色の強い組織ではないという認識が作用した結果、
SEALDsFYMがマスメディアに注目される要因になりました。その上で、我々のゼミと田村ゼミは10数年の交流があり、全く違う大学の、全く違うゼミのメンバーがFYMに参加したことで違うチャンネルが開けた。大学を超えた2つのゼミが長年交流してきた歴史を持っていて日常的にお互いを知っている関係であり、それが大学を越えた繋がりに見えたのでしょう。九州大学の学生だけが思い立って行動したとしても、それは“九州大学の学生”という枠で捉えられて若者一般が行動しているという風には受け取られにくいですが、少なくとも2つの大学、異なる大学の学生が協力してやっているという風になった瞬間にある種、広がりがある運動だと周りが見たのではないでしょうか。

 ―「融合的ハイブリッド」型の集合体

 出水教授FYMについて、どうしても表面的にみれば文脈なく新しく発生したように見えるが内実を知れば、“ハイブリッド”というか、融合系ですよね。我々のゼミと田村ゼミは実体的な関わりを持つことを重視し、共同してやってきました。だから、当事者の話を聞きに行くだとか集会に参加するだとか、そもそも彼ら彼女らの先輩時代からそういうことに対して疎ましく思い、闇雲に訳の分からないものだと見なさない文化がありました。ゼミの中で蓄積された文化や伝統みたいなものがあったと言えます。そして、FYMの中核には“集会やデモに参加したことがある”あるいは“集会やデモについて認知している”程度の知識があるゼミグループがあって、そこに、そういった知識がない若者が集合したというところで「融合的ハイブリッド」であると。だから、ゼロベースで全くの白紙から立ち上がったわけではありません。そこには、下地というかバックグラウンドがあって、2つのゼミの中で経験や知識を持っていたからこそ呼び掛けあってFYMの核を形成できた。その核に、外から見たイメージに近いような全く未経験の人たちが加わったというのが実態でしょう。

S__12132369

―出水教授の「3つの観点」

 ―出水教授ご自身としては、FYMをどういう思いで見ていましたか?

出水教授FYMが立ち上がった時、3つの観点から見ていました。一点目について。自分もある時代から反原発や天皇制廃止、死刑廃止などの社会運動に出会って、そういうものに関わってきました。そういった意味では、ある年齢まで「自分たちの直面する問題をつくった前の世代を告発し、その責任を問う」というスタンスでやってきました。若者として与えられた世界に対して異議を唱える立場でいたけれど、我々はもはや告発する立場ではなく、現状に責任を持つ立場にあることをFYMの登場ではっきり突き付けられました。我々が責任を問われる立場になっていて、告発している若者の彼らがかつての自分にも見える。だから、要するに、責任ある前の世代の立場として若い世代が打ち出したことに誠実に向き合う必要があるという観点が一つ。

20170324011549-1200x630
SEALDsは眼前に首相官邸のような対峙するものがあって、大勢の人間が動いていることが確認できる場所で活動していた。それに対して福岡には国会もなければ首相官邸もなく、何百万人という人もいない場所である。二点目は政治研究者としてそういった状況を踏まえて、尚且つ、一過性の運動ではなく、今回の経験を踏み台にして自分たちが現状を分析し、自分たちがやっていることの意義づけだとか…この後、この運動が一旦収束して何をどのように受け取って引き続きやるつもりがあるのかを分析して評価しています。三点目は、ゼミの教員としてどういう風に関わるか、見守るかという立場で。要するに、例えば、大学の学業にしわ寄せがこないかとか、あるいは、ゼミの全員が活動に参加しているわけではないので相互の関係に一定の気を配るという立場で見ていました。

 ―「責任ある世代」として

 出水教授:これまで中高年の方々に対して、若者たちが立ち上がったことで中高年の方が刺激を受け、励ましを得た側面があるのではないかという話をしてきました。これまで護憲運動に取り組んできた人たちにとって、直感的に運動が高齢化してじり貧になってきているというイメージがあると思います。そこで、若者たちが立ち上がったことに対して過剰に期待し、過剰に励ましを受けているところがあるのではないでしょうか。新たに登場したものに期待するというのは、二重に反省するべきことがあると思います。要するに、若者たちが声を上げざるを得ないところまで状況を悪化させてしまった責任。そして、その責任を顧みることなく一方的に若者から励ましを受けるというのは不味いのではないでしょうか。

 ―「新しい文脈」で生まれた運動

 出水教授:大学で政治学を教える立場として面白いなと思ったのは、「社会主義」を冷戦時代のイメージとは違うイメージで受け取る世代が出てきたということです。旧ソ連や中国、60年代末の左翼の内ゲバのようなものと結びつけずに「社会主義」を捉え、現在の状況を変えることができるのは「社会主義」ではないかと言う世代が出てきています。危険だと言われて途絶えた後、社会運動を全く違う文脈で表現することができるようになったのではないでしょうか。

―「違う文脈で表現」というのは?

出水教授:振り返ってみれば、新自由主義が行き詰ってリーマンショック以降、日本社会で非正規労働が増加してきたことへの関心が高まり、年を越せない人をサポートしなければいけない状態が起きてきました。それをFYMメンバーが目撃したのは小学校高学年くらいではないでしょうか。福島原発事故が発生して、特殊な人ではなく、ごく普通に危機感を持つごくごく一般の人が集まって集会やデモを起こす。だから、何らかの政治的な主張の結果だというような、あるいは急進的で暴力的な学生が指導するようなイメージとは無関係に集会やデモをイメージすることができるようになった。これが、「文脈が変わった」ということです。

―目的化していたデモや集会が、一つの手段として再び捉えられるように…

出水教授2,000年代の文脈の中で本当に苦しくて生きられない人や原発事故に危機感を持つ人が―政治的ではない受け取り方で集会やデモが行われる中で育った人たちが―政治的な問題に対して集会やデモを使ったのではないでしょうか。つまり、集会やデモを政治的でない行動として捉えて育った世代が政治的なものとして集会やデモを行ったのではないかと考えています。

S__12132362

 ―そういった世代の中でも、今回、FYMなどの若者団体が立ち上がったのは、社会の不安や不満が一杯いっぱいになっていたところに安保法制というトピックが出てきて行動として溢れ出したのでしょうか?それとも、今回、行動力がある学生が集まったから立ち上がったのでしょうか?

出水教授:その学年の個性や人数による影響もあったかもしれないですが、SEALDsが立ち上がったことが重要だったのではないでしょうか。彼らの行動に対して同世代の若者たちが無視できなかった。同世代の人たちを中心にSEALDsの動きに対して過剰に発言していますよね。アンチも含めて無視できない風潮が広がると確率論的に言えば、奇特(行いや心がけなどが優れている意)な人たちが相当数生まれます。東京においては、奇特な少数派がこの数十年なかったほどの大きな数になりました。その影響を受けて福岡のような環境でもごく一部の奇特な層がFYMを立ち上げることに至ったのでしょう。

SEALDsが立ち上がった要因が強かったと。

出水教授:だって、無視できなかったでしょ?考えざるを得なかったし、どういうスタンスを取るかを求められた。なぜなら、彼らの行動が無条件に引っかかるから。どういうスタンスを取ろうともそれを正当化する理屈を考えざるを得ない(笑)。否定するにも否定するだけの何かを発言しなければならない。それが大事だった。

1 2
アイポス編集部
アイポスは政治をもっと身近に感じ、生活と政治の関連性を見出す情報を発信します!