FYMに関わった人たちに向けて

 出水教授FYMに関わった人たちに対する思いについて、一人ひとりがFYMとして声をあげたことをどのように背負っていくか真面目に考えてほしいと思います。大変だったし、苦しかったし、面倒くさかったし、もう懲り懲りだと思っているかもしれませんが、自分がやったことだから最早チャラにはできないし、担うしかありません。担い方はそれぞれだと思いますが、誠実に向き合ってほしい。僕自身が学生時代から色々と首を突っ込んできて、うまくいった課題はほとんどなく、むしろ悪化した課題ばかりです。こうした運動に関わると否応なく無力感を突き付けられる。これだけの時間を割いて、一生懸命やって、色んなものをつぎ込んで、その結果、阻止できなかったという無力感や挫折感がこうした運動には絶対にあるわけです。
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出水教授:その時に、それをどういう風に飲み込んで、それをどう意義づけ直すかっていうのが最も重要だと思います。「やってもしょうがない」となるのか…色んな意義づけ方があると思いますが、個々の満足レベルでもいいので意義づけることを誠実にする必要があります。教員としては、我々のゼミで学んだ人たちだからこそ変わり続けることを求めているし、変わり続けて自由を手に入れるための経験としてどう考えますかということをきちんと自分の言葉にできるようにしてほしい。

 ―彼らの動きを無視できなかった世代について

 出水教授:無視できなかった世代について評価するとすれば、今回のムーブメントによってどのような方向に向かおうとも間違いなく意識が変化したのだと。意識が変化したことを前提として、経済格差や貧困問題、福島原発事故のような未曾有の破滅的な事態を経験した世代と重なる世代として何とかこの社会を変えなければならないし、自分たち自身も変化し続けなければ今の社会に適応できない。繰り返しになりますが、確実に社会の変化は起こる。この世代がもう少し歳をとって、社会や組織において何らかの発言権や決定権を持つようになれば間違いなく変化は起きる。良い方向に向かうか、悪い方向に向かうか分からないが、我々の社会に変化を促すような世代になるでしょう。

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 ―どこにでもある“大学”という場

 ―出水教授がゼミにおける教育で意識されていることは何でしょうか?

出水教授:自分の中の多様性を絶えず拡大していき、それによって他者に対して理解し許容できるように変化し続けられる人間を後押ししたいと思って大学で教育しています。結果として、自ら関心を持ち、調べ、考えて何かを表現したいと思うゼミ生が出てくる。そのために、ゼミを運営していて教育を行っています。

FYMの活動を通してゼミ生たちの中で意識の変化みたいなものを感じましたか?

出水教授:大学の外の人間や大学生ではない同世代と、ある種、不特定多数の人間に対して訴えかけるようなものを企画し実行していく経験を踏まえての変化はあったと思います。行動を起こす上で葛藤があっただろうし、大変だっただろうし、もう二度とやりたくない人やしばらく活動から離れようと思った人間も生まれただろう。そういった一切合切が経験であり新しい知識で、そのこと自体によって変化があったのではないでしょうか。

―出水教授と田村教授の2つのゼミで共通するものとは何でしょうか?

出水教授:我々に共通しているのは、「大学に漫然といても本来学ぶべきことが学べない」という反省があることです。高校までは“体育会系”ですよね。“体育会系”とはつまり、「いかに正確に反復できるか」、この能力しか問わないということです。その延長線上にある日本の大学なので圧倒的な大多数は大学本来の意義について接することもなく通過してしまうから残念ですが、僕ら2人はそれを阻止したいと思っています。最小限、大学で学んでほしいのは、「自分がいかに無力で無知であるか」ということです。途方もなく世界は、知り尽くせないくらい多様で、色んな人が色んな生き方をしている。我々はどのようにでも生きることができる。生き方について経験が乏しいためにカタログが小さすぎる。我々は、色んな世界を見てきた人間や色んなことを知っている人間と学生を引き合わせようとしています。

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―生き方のカタログにある選択肢みたいなものを…

出水教授:つまり、広げようとしている。世界が大きくて自分がいかに無知であるかとか、また、自分が思い描いている生き方や職業の選択も含めて定型的な狭い世界の中でグリグリと捏ね繰り回していて自分の将来を展望できていないかということを思い知ることができれば、まともに大学を卒業したといえるのではないでしょうか。その辺は田村先生と共通している部分で、まともに大学を卒業できるように準備しているつもりではあります。

―答えがない中でも続けていく…答えが見えない状況に耐える忍耐力が必要なのではないか思っています。現状にもやもやしながらもそれでも自分なりに考えて答えを出そうという経験が成長につながる…。

出水教授:僕から言わせれば、答えがでなくてもやもやしながらも向き合わざるを得ない経験をすることが“大学”であると。“大学”は、場所でも建物でも組織でもなくて、あらゆるところにあり得るものと言えるでしょう。そういう意味では、FYMメンバーたちは大学生らしい“大学”を経験したのではないでしょうか

 

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アイポス編集部
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