失われたX

 

 さて、ここでよく考えてみよう。この言葉は、10年ほど前はまだ「失われた10年」と言われていた。今日では「20年」である。だが、経済成長をGDPという数値で代表させるならば、2016年の現在は、失われてすでに25年経過していることになる。四半世紀だ! この年数をXと置き換えるならば、そこに代入される数字は日々刻々と膨らんでいくこととなる。

 

 とするならば、これは何を意味するのだろうか。第一に、高度経済成長の期間を上回っているということだ。高度経済成長の期間は、論者によって多少の差はあるようだが、ここでは1955年から73年までの18年間と考えておこう。すると、「失われたX年」はすでに高度経済成長の期間より長いのだ。

 

 この事実から、第二の意味が与えられる。失われた期間が、四半世紀も過ぎれば、当然その間に新しい世代が生まれ、成長し、次々と社会に出てくるのだ。多少なりとも成長を実感できたバブル期までを「成長を知る世代」と形容するならば、その時に物心のついていなかった1980年代前半から中盤以降に生まれた世代は、「成長を知らない世代」と形容できるだろう。1990年以降に就学期間を終え、社会に出た世代までを視野に入れるなら、1970年代前半生まれ、いわゆる「団塊ジュニア世代」=「失われた世代」の中核も後者に含まれることになる。

 

 今日の日本の人口の大半は、戦後生まれであり、経済成長期に育ってきた世代が多数派である。現在、私的・公的な組織において意思決定権を握っているのもこの世代である。彼らには、物心つき成長する過程で、社会全体が「今日よりは明日、明日よりは明後日」といった具合によくなっていったという記憶が多かれ少なかれ残っている。したがって、その世代には、超低成長時代に突入した現在において、1990年から現在までが文字通り「失われた20年」と認識されるのだ。

 

 

「経済成長」という物語

 

では、1986年生まれの筆者も含め、「成長を知らない世代」にとって失われたものは何だろうか。言い換えるなら、「X」に代入されるものは何だろうか。それはまさに「経済成長」という物語である。

 

筆者自身、物心ついて以降、毎年みるみる生活が豊かになっていく、という実感を持ったことはないし、これは同年代やその下の世代にも共通しているだろう。「成長を知らない世代」にとっては、物質的な成長や発展というものが何なのかわからないし、それは歴史の教科書の一部になってしまっている。ましてや「人類の進歩と調和」(大阪万博のテーマ)など、リアリティを持たない。

 

このように、現在の若年世代から見れば、失われているのは90年代以降の超低成長期ではなく、むしろ高度経済成長期なのである。彼らにとって、低成長社会こそが現実であり、経済成長期こそ虚構の物語なのだ。それゆえに、若年層の目には「失われた20年」という表現は、「成長を知る世代」が「古き良き」夢の時代をノスタルジックに回想し、それと対比させたときの呼称にすぎない。

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浅香 勇貴
1986年生まれ。西南学院大学文学部卒。京都大学文学研究科修士課程修了。 日曜コラムニスト、日曜読書家、日曜大工、日曜社会活動家、通勤電車内思想家、好事家。