「空気」の支配と「抗空気罪」

 

 現在の日本を支配しているのは「空気」である。このように感じる人は少なくないだろう。もちろんこの場合の「空気」というのは、単なる「大気中の気体」というような物理的な意味ではない。「空気を読めよ」というときの「空気」である。学校での友人との会話や職場での会議などにおいて、目には見えないが必ず従わなければならない「何か」に縛り付けられ、自分の本心とはまったく異なることを言わざるを得なかった、という経験は誰にでもあるだろう。

 

数年前、「KY」(空気が読めない)という造語が流行したが(現在でもしている?)、事実、日本では「空気」が読めないことは一種の罪であり、その罰として陰に陽に社会的な制裁を受けることがある。これにより、日本人は「空気」を読むことに敏感になり、周囲に迎合することが一種の美徳とみなされるようになる。もしそれに抗するような言動をとれば「抗空気罪」として「村八分」という仕打ちを受けることとなる。

 

 では、この「空気」とはいったい何だろうか。なぜ、どのようにしてそのようなものが発生するのだろうか。それは日本社会にしか存在しないものだろうか。いつから存在するものなのか。そして、それに抵抗するにはどうすればよいのか。このようなことを考えたのが、今回紹介する山本七平『「空気」の研究』(1977年、文春文庫1983年収録)である。

 

 著者の山本七平(1921-1991)は、戦中、マッカーサー軍の上陸間近のフィリピン戦線に陸軍将校として派遣され、そこで激戦を経験し、九死に一生を得て帰国している。戦後は小さな出版社を経営しながら、日本社会論、旧帝国陸軍、聖書などの研究を行い、評論家として活躍した。大学などの研究教育機関に属した人ではないけれど、多くの分野に通じた一流の研究者であったと評価されている。

 

 では、以下で山本の「空気」に関する考察のエッセンスを見ていこう。

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浅香 勇貴
1986年生まれ。西南学院大学文学部卒。京都大学文学研究科修士課程修了。 日曜コラムニスト、日曜読書家、日曜大工、日曜社会活動家、通勤電車内思想家、好事家。