私たち「IPOS」は安保法案に反対するために立ち上がった若者たちがどのように政治に関わり、行動を起こすに至ったのかに焦点を当て、福岡の若者団体「FYM」(Fukuoka Youth Movement)のメンバーにインタビューを行いました。当時のムーブメントを起こした本人たちの声を聞き、そして、それを支えた周囲の大人たちの視点として出水薫教授(九州大学法学部)と後藤富和弁護士(大橋法律事務所)にインタビューに応えていただきました。
 今回は、同じ若い世代でムーブメント以前から活動してきた民青福岡県委員長の山野遼大さんに、「当時のムーブメントをどういった視点で見ていたのか」、そして「どのような思いで活動を続けてきたのか」についてインタビューに応えていただきました。山野さんは、ムーブメント当時は「悔しさ」みたいなものを抱えつつも、「立憲主義」の危機を前にして共に声を上げられたことに感動したと言います。
 安保法が成立して2年経とうとしている今、「共謀罪」法が強行採決され、今月11日に施行されてしまいました。山野さんのお話は「政治の中で生きている感覚」を持ち、「僕らを取り巻く制度を自分たちで考える」ことの大切さ、そして、社会の一員としてどういった形で活動を続けていくかを考えるきっかけを与えてくれます。安保法のような問題を前に国民の意見でブレーキをかけることができるのか、そうした社会に変えていくためには長期的な視点を持った行動が求められています。


S_6371774500006

―同じ若い世代として当時のムーブメントをどう見ていたのか

―FYMやSEALDs(Students Emergency Action for Liberal Democracy – s)の起こしたムーブメントによって彼ら彼女らの活動を知った人々の、なかでも若い世代の心が揺さぶられたと考えています。彼ら彼女らの活動に対して賛成か反対か、どちらにしても活動に無関心ではいられず、何らかのスタンスを取らざるを得なかった。これは一つ、FYMやSEALDsが社会に与えた影響だと思っています。FYMやSEALDsのデモにこれまで政治や社会問題に関心を持っていなかった若者も含めて大勢の若い世代が集まった要因は何だと思いますか?

山野さん:要因ということに関して、まず、挙げられるのは安保法制の問題がそれだけ国民的な問題であったことです。今回の問題によって「戦争をする国になる」か「戦争をしない国であり続けるか」という選択が国民に突き付けられました。国民一人ひとりがその選択について考えさせられる問題で、「よく分からないけど知りたい」、「声をあげたい」という若者が多く出てきました。FYMやSEALDsもそういった気持ちが出発点で、そこに同じ考えの若者が合流したのだと思います。民青には安保法制に対する明確な判断がありましたが、FYMやSEALDsはある意味、柔軟さがあったことも運動が広がった要因だと思います。また、HPやSNSのデザインセンスが良く、それを活かせるネットの技術を持った人がメンバーにいたこと。そこは以前の運動とは大きく違うと思います。民青にもそういった技術を持つ人はいますが、県単位ではそれを活かせる筋がなかったり…それが本当に悔しいんですけど。要するに「門戸の広さ」と「広げ方の上手さ」、そういう強みがあったからこそあれだけの若者が集まったのだと思います。

―僕らの中でFYMやSEALDsが立ち上がった当時、安保法制について反対の声をあげたいという気持ちがありながらも自信を持ってNoを突き付けるだけの知識がなくて…正直、彼らの姿を見てあれだけ力強く発言できることが率直に「悔しいな」という気持ちがありました。山野さんは当時、FYMの活動をどう見ていましたか?

山野さん:正直に言うとFYMが登場した時、少し懐疑的に見ていました。「一過性のものじゃないか」とか、「若者ってことで注目されているが本当は俺たちの方が先にやってきたんだよ」って。本当は悔しいだけで、しょうもない悔しさみたいなものを抱えていました。今から考えるとその認識は未熟だったなと思います。僕は民青の活動で日常的に政治や社会問題に触れてきましたが、社会人や学生は時間的な制約の中で日常的に活動するのは難しいですよね。常に政治の中で僕らの生活は続いていますが、本当に自分たちの生活や権利が侵害される時に立ち上がり、問題が解決して生活に戻っていく。今では「一過性」は問題ではないと考えています。また、参院選の際、福岡は3議席で最後の一枠を共産党と公明党で争っていた状況において「民青と一緒にやりたくない」と言っていたFYMの青年が「3議席目を改憲勢力に取られたら負けだと思う。一緒に何かやりませんか」と僕らのところに来たそうです。政治的な立場で細々とした違いがあるのは当然ですが、政治的な立場の一番の土台になる「立憲主義」が覆されそうになった時には一緒に声をあげられるんだと感動しました。

―FYMやSEALDsのように緊急行動として立ち上がる集合体と民青のような継続的な組織では出来ることの違いがあると思います。

山野さん:民青として理想とする社会のかたちがあって現在の社会をそれに向かって変革していこうという目的があるので継続して行動しています。そのため、民青は一つ一つの社会問題について現在の状況だけでなく、歴史的にみてなぜ起きているか問題なのか、そして世界的に日本はどういった立ち位置にあるのかという視点を持って問題を捉えることができるのが強みだと思います。この先の展望についてもこれまでの歴史や他の先進国の制度を参考に日本はどう変わっていくのか、国民にとってどう変わっていくべきなのかを幅広く長期的な視点で行動していけるのが継続して行動してきたからこそできることなのだと思います。

S__12132374

―政治の中で生きているんだという感覚~“当事者感覚”を持った転機

山野さん:僕の中で一番の転機になったのは3・11(東日本大震災)だと思います。それまで、「政治や社会問題について語るのって面白いよね」とか「働きやすい社会になったら就活への意欲があがるよね」という漠然とした話はしていましたが、今振り返れば“当事者感覚”というか、「政治が自分たちにどう関わりがあるのか」という感覚がまだ希薄だったと思います。原発事故は国策の失敗の上で発生したものだと思っています。政治によって現在も苦しめられている人もいて、いつ自分もそうなるか分からないということを考えるようになって、それから政治の中で自分も生きているんだという感覚を持ち始めました。

―3・11が政治に対する当事者感覚を持つ契機になったと。

山野さん:そうですね…。3・11が発生した直後から一年間くらい無気力になっていたんですよ。日を追うごとに死者や行方不明者が増えていって、ボランティアに行きたいという気持ちもありました。しかし、放射能汚染について様々な言説が飛び交っていて「行かなきゃいけない…でも行けない」という葛藤があって。「ボランティアの人手が足りている中で行くのは偽善なんじゃないか」とか、自分の中でかなり苦しみました。一年間はずっと頭の中で考えるだけで結果、行動に移せなかったことを今でも引きずっています。でも、考える中で「困っている人がいるのに行動できないのは良くない。偽善かもしれなくても行動しよう」、「原発問題に限らず様々な問題は自分にも関わっている」というところに行き着いて政治がぐっと近づいた気がします。

―3・11以降、無気力になっていた時期から再び活動を続けていこうと思うきっかけになったことは何でしょうか?

山野さん:当時は大学にも行かなくなり、民青にも全く顔を出していませんでした。そんな時に、民青の先輩が粘り強く連絡を取ってくれて「そうやって悩んでいることが、周囲の悩んでいる青年に仲間がいると知らせることになる。寧ろ、民青でもっと悩みを表に出してほしい」と言ってくれて…それが自分の中で嬉しかったです。それと、民青には高校生の活動を援助する集団があるのですが「その集団に参加してほしい」と。「学生も悩んでいて、それでも活動している姿が高校生の力になるから」と励まされ、「自分でも力になれることがあるならやってみよう」と参加しました。そこで、高校生の活動をどう援助していくか、どうしたら民青の活動を魅力に感じてくれるのかを仲間と真剣に考えることがとても楽しく感じたことも活動を続けていく原動力にもなりました。ですので、周りの人に恵まれたといいますか。悩んでいてもいい、悩んでいることが寧ろ周りの人を励ますことになると言ってくれて「じゃあ、やってみようかな」と再び意欲が出てきました。

僕らを取り巻く制度を自分たちで考える~“民青”という環境で学んだこと

―もともと、山野さんは何をきっかけにいつから活動を始めたのですか?

山野さん:僕が最初に民青に参加したのは15歳の時で、当時は特段、政治に興味があって勉強していたわけではありませんでした。民青に参加している兄を持つ友人から誘われて「ちょっと面白そうだな」と思って民青に加入したのがきっかけです。政治について話しているのが“格好いい”と思って、そんな風に話せるようになりたいというのが最初の思いでした。

­―民青とは

山野さん:民青は「青年の切実な願い(要求)を実現する」という目的の下、15歳から30歳前後までの青年が参加しています。民青は皆さんが思っているよりも敷居が高い団体ではありません。しっかりと活動に関わっている人もいれば、自分の興味がある企画だけ参加する方もいます。民青の活動は“要求”をアピールするデモや国会や自治体への要請行動、そして昨年では熊本地震の際にボランティアへの参加など自分の“要求”を出発点に行動しています。また、民青は共産党を相談相手にしています。別団体ではありますが、現在の社会で自分たちの要求を実現するためには「何が変わったらいいのか」、そして「どういう行動を起こせばいいのか」を考える時に共産党が考えの主体にしている「科学的社会主義」という社会の見方や共産党の綱領を学んで主権者として成長することも一つの目的としています。例えば、「学費が高い。もっと安くしてほしい」という願いは多くの人が持っていると思いますが、では「学費を安くするには社会がどう変わっていけばいいのか」を社会構造から考えていきます。OECD諸国の中で日本はGDP比で教育予算にかける割合が少ないことが分かります。日本では国をあげてしっかりと教育に予算をつぎ込めば学費が下がる、そういったことを学んでいます。

―活動を始めた当初はそこまで政治や社会問題について興味があったわけではなかったのですね。

山野さん:そうですね。民青では同盟員が学校に複数人いると班が作れるのですが、週一回、班のメンバーが集まる「班会」をしています。班会では最初に3分間スピーチをしています。

―3分間スピーチですか。テーマは政治や社会問題ですか?それとも自由に決めて?

山野さん:テーマは自分の身の回りのことだとか何でもって感じで自由です。例えば、「学校のテストがきつい。校則が厳しい」というテーマとか3分間スピーチする時間を最初に設けて、その後に「民新タイム」という民青新聞を読んで学習するのが班会ですることです。僕も最初は友達に誘われて怪しげなアパートの一室で班会に参加することになりました(笑)。僕が通っていた高校の校則がかなり厳しい学校で、それに管理教育・詰め込み教育という側面がありました。制服を着崩してはいけないし、頭髪は刈り上げが強制だったりするんですよ。

―班会の3分間スピーチではそういう話で盛り上がったりしたんのですか?

山野さん:そうです。月一回の風紀検査に引っかかった人は早朝に再検査を受けることに「そういうのおかしくね?」ということを班会で話していました。そこから「なぜ校則がこんなに厳しいのだろう」って自分たちで調べたりするんですよ。そこで、周りの高校生たちが校則についてどう思っているのか手製でアンケートを取って教育委員会に提出するということもしました。そういう班会の活動の中で学校の仲間と不満や愚痴を言ったりして(笑)。それだけで終わらせず、「なぜそういった状況になっているのか」を調べて、その状況について知識を身につけることを楽しみの一つにしていました。また、僕の高校はマンモス校で大人数の生徒を管理するために、先生が生徒を一人の人間として見ていないような空気がありました。班会では、そういう風に感じているのが自分だけではないと知ることもできました。身近なことも政治に繋がっていくことや僕らを取り巻く制度を自分たちで考えることを学生時代に学べました。今から考えるとそれは大事な経験だったなと思います。

classroom-2093744_1280

―活動を仕事として続けていく道

―現在、山野さんは民青の委員長をされていますが大学を卒業して就職するという時、そこから活動を続けていくかどうかの分かれ道になると思います。

山野さん:そうですね。僕は民青同盟の“専従”として民青の活動を専門の仕事としています。民間企業への就職も候補になかったわけではないですが…。高校生の援助をする集団の話をしましたが、その中で民青を組織していくことや企画して人を集めたりすることがすごい面白いなって思ったんですね。高校生たちの学びをどういう方向に持っていきたいか、どういうことを学んでもらいたいとか。高校生から合宿やキャンプをしたいといったときにどうやって実現するかとか、肝試しやサバゲ―をしたいと言われたこともあって(笑)。それに真剣に答えようと仲間とお酒を飲み交わしながら話し合ったり、企画することが楽しいなって。そこで民青の組織をつくっていくことに魅力を感じました。それと、民青で活動しているとどうやって大企業が利益を上げているかという搾取の仕組みを学びます。そういう仕組みの中に入っていくことにある種の抵抗感がありました。でも、現代社会でそれは自然なことだし、そうせざるを得ない側面もあると思っています。なので、そういう仕組みに入っていくことに嫌悪感があるわけではありません。ましてや、就活で自分が評価されることや否定されることへの恐怖もあって、そういうマイナス面で就職から逃げていた部分もありました。でもそれ以上に、民青で社会をよりよいものにするためにこれまで考えてきたにも関わらず、就職すると活動できる時間が圧倒的に減ってしまうことが残念に思えたんですよ。

―悩みながらも民青の専従になる道を選んだんですね。

山野さん:大変なことやうまくいかないことが多いですが、自分の生活をより良くしていきたいという気持ちを直結して仕事にできるのは民青だけだよなって思っています。

―民青の専従として活動していてやりがいを感じるときはどんな時でしょうか?

山野さん:民青の活動に共感してくれて仲間が増えたときにやりがいを感じますね。それと、先日、共産党の街頭演説に高校の制服を着た子がいて、珍しいと思って声をかけました。後で聞いたら、母子家庭で更に身体に障害を抱えている子でした。よくネットでは生きづらさについて自己責任に転嫁されますが、民青の考え方はそれとは真逆で生きづらさには社会構造の歪みがあるという考え方をしています。大変な生活をしている子と繋がった時に、「あなたのせいではない」という話を説明できることにやりがいを感じました。社会に目を向ける余裕がない人たちに「生きづらさってあなたのせいではなく、社会的な背景があるんだよ」と説明でき、民青で活動していてよかったと思えた瞬間でした。

pencil-918449_1280

―教育環境が変われば、政治が変わり、そして国が変わる

―最後の質問になりますが、今後、山野さんが取り組んでいきたいと思っていることは何でしょうか?

山野さん:より身近に感じているのは教育と学費の問題です。政治的無関心は教育に因るところも大きいと思っています。フランスの中学校では、教師と親と生徒が対等に話し合って学校を運営していく“三者協議会”という組織を設けています。“三者協議会”では生徒の意見が尊重されていて大人と対等な意見として扱われます。つまり、生徒たちにとって社会を変えるために声をあげることが有効だというのを初めて認識する場になっているのだと思います。また、フランスでは「学校への予算を増やしてほしい」として中学生がデモを行い、実際に政府の予算をつけさせたこともあります。日本の管理教育の中では自分たちが立ち上がれば変わるんだという主権者意識が損なわれているのでしょう。教師は大変な労働環境にあって、教師一人が見なければいけない生徒数が大人数であれば管理教育に繋がり、そのせいで生徒の自主性も発達しない。そういう教育環境を変えることで政治も変えることができるし、国までも変えるということがヨーロッパで実際に起きています。

―安保法のような問題に対して国民の意見でブレーキが利かない社会構造になっている状態で、社会構造から変えていくためにまず取り掛かるべき基盤は教育なのでしょう。

山野さん:現在の日本に欠けているのは自分たちが社会を構成している一員で自分の意見や一票が社会を左右していく力があるという認識だと思います。社会を変えるためには変えられることを認識しなければなりません。一部のエリートが国の指針を決めていけばいいという考えが日本の教育の根底にありますが、民主主義社会を名乗っている以上、国民一人ひとりに主権があって国の指針を決めていくのは国民の総意であるべきです。エリートによる官僚主導の政治では日本がおかしな方向に進んでいった時に国民がそれを止める手立てがない…それが日本の現状だと思います。そのため、国民全体が政治的に成熟して国の現在とこれからを担っていく感覚を培っていく教育が必要なのだと思います。要するに、教育を変えることで自分自身が望む社会や大多数が望む社会をつくることに繋がるんじゃないかと考えていて、改めて教育について考える学習会を開催できればと思っています。

アイポス編集部
アイポスは政治をもっと身近に感じ、生活と政治の関連性を見出す情報を発信します!