前回、小・中学校の教員が平日、睡眠時間を削って平均12時間以上も働いていること、そして、「道徳の教科化」について、小・中学校教員ともに約80%が否定的に見ていることが分かりました。そのような状況の中、国は、なぜ今、道徳の教科化を推し進めるのでしょうか?

理由の一つに、“いじめ問題”があります。文部科学省は道徳の教科化を機に「考える道徳へと転換させる」としていますが、子供たちの道徳心の欠如が“いじめ問題”の本質的な原因なのでしょうか?本来、多忙を極める教員が、もっと生徒たち一人ひとりと向き合う時間を確保できるような環境を整えることが先なのではないでしょうか。

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道徳の教科化を推し進める背景に、教育基本法が第1次安倍政権の2006年に改正され、公共の精神や国、郷土を愛する態度の育成が強調されたことが挙げられるでしょう。道徳の教科化により国による教育統制や価値観統制が強まるのではないかと懸念されています。

■道徳に「教科書」を導入

道徳の教科化に伴い、文部科学大臣の検定に合格した「教科書」が授業に導入されることになります。それでは、「教科書」とはそもそも何なのでしょうか?

日本では、国が教育の基準として「学習指導要領」を定めています。この学習指導要領に基づいて教育が学校で正しく行われるように、教科用の図書として制作・使用されるものが「教科書」なのです。つまり、国の定めた基準を満たさないと、「教科書」として認められません。

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道徳教育について、小学校の先生の3人に1人が文部科学省の調査に「効果的な指導方法が分からない」と答えています。「道徳科」は、私たち個々人の内面に深く関わる価値を扱う教科であるため、現場の教員ですら指導方法に頭を抱える難しい教科なのです。そんな教科に、国が定めた画一的な基準で制作された「教科書」が導入されるわけですが、あらかじめ国によって決められた道徳的価値を授業で学ばせることで子供たちの感性は育つのでしょうか。また、「考える道徳」に、考えるべき道徳的価値があらかじめ設定されていることに矛盾を感じます。

■「評価」の導入

 

道徳が教科化されると、教員は、児童や生徒の学習状況や道徳性に係る成長の様子を把握し、記述式の評価を下すことになります。ただし、数値などによる評価は行われません。また、入試に評価は利用されず、調査書にも評価は記載されません。

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しかし、家庭に配布する通知表や学校に残す公式の書類である指導要録にそれを記録することになるわけですが、そもそも、子供たちの道徳心の成長に評価を下すことは果たして適切なのでしょうか。繰り返しになりますが、「道徳科」は、個人の生き方や考え方といった内面に深く関わる価値を扱う教科です。成人になっても生き方や考え方は、悩み続けながら変化していくものです。そのような道徳的価値について、子供に対して評価を下すとき、教員は頭を抱えるでしょう。そんな時、逃げ道になるのは、国が定めた基準に沿った形で画一的に評価を下すことです。結果的に、子供たちの生き方や考え方に学校を介して国が評価を下すことになるのではないでしょうか。

■国による道徳的価値の統制

 

私たちが忘れてはならないのは、戦前に「教育勅語」に基づく「修身科」で国定教科書を使った道徳教育が行われた結果、戦時の総動員体制に結びついたことへの反省です。
国が定めた道徳的価値を基準に子供たちの人格が評価されることはあってはなりません。

「特別の教科 道徳」は必要とされているのでしょうか?

社会格差の拡大や若者の貧困の深刻化などの中で増加してきた少年犯罪。私にはどうしても、そういった社会問題が、あたかも子供たちの道徳心の欠如が問題であるとして、国の責任から国民の目を逸らそうという意図が感じられるのです。

子供たちの感性は、学校の日常生活の中で悩み、葛藤しながら磨かれていくのではないでしょうか。そして、そうした機会に、教員が子供たちと真剣に向き合える時間を確保することがまず必要なのだと思います。

アイポス編集部
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