「社会や政治に関心を持たないのは愚か」なのか 

 投票によって意思を示すこと、自分の社会のあり方を考えることは、民主主義社会に生まれた以上、必要なことだと感じます。しかし現実には、政治への無関心が叫ばれ、私の周りでも家庭の中で政治の話をするようなこともなく、友達とはなすこともほとんどありません。テレビ番組や、最近の映画の話、漫画の話、ネットで流行っていること、勉強がつらいこと、バイトが忙しいこと、旅行にいったこと。そういった日常の話を前にして、政治の話をすることはそもそも意識の範疇にすらありません。 先日行われた第24回参院選において投票率は54%となり、4番目に低い投票率を記録しました。また、総務省が発表しているデータを見ると、20代の投票率は年々減少しており、最新の数値では35%にまで落ちています。

 私自身、そういった人たちを前にして、「もっといろいろな大切な問題があるのに」と思うことはあります。「最近の人は政治に対して無関心でけしからん」というような意見も聞くこともあります。テレビのニュースなどで「大人」がそういった趣旨のことを言うのを目にすることもありました。しかし、それは本当に彼らのせいなのでしょうか。それは、責められるべきことなのでしょうか。今日はそのことについて個人的な意見を書こうと思います。

「無関心層」との間を阻むものはなにか

 人間を形作るのは、その人の周囲の環境です。私たちは、言葉の分からない赤ん坊のころから、周囲の環境を観察し、言葉を理解し、ルールを知り、成長してきました。子どもにとって、環境というのは良かれ悪しかれ、絶対のものなのです。それは誰にとっても同じことであると思います。

 今日の日本の社会は、とても政治の話題が活発にできるような環境ではありません。学校において、教科書知識として以上の主権者教育を受けた記憶はありませんし、家庭で話すこともありませんでした。むしろ、タブーとされるような雰囲気があります。そういった環境の中で育ってきた人が、どうして政治の話題に積極的な関心を抱くようになれるでしょうか。そういう環境で育った人に向かって「もっと政治や社会に関心を持ちなさい。無関心でいるのは悪いことだ」と言い得るのでしょうか。彼らにしてみれば、今の彼らの在り方は

周りの環境から学んだことであり、そうならざるをえなかったのです。私も、今でこそ世の中にあるいろいろな問題を知り、積極的に調べるようになりましたが、それまではそういったことは発想すらありませんでした。世の中の政治に対する関心の無さを語るとき、「無関心な人々」を悪く言うことは、私は筋違いのように感じてしまうのです。

 このことは「ゆとり」問題が語られるときにも同じようなことを思います。子どもの身では選ぶことのない、与えられた環境の中で素直に育ってきただけなのに、「これだからゆとりは」と言われてしまうのです。

これから

 とはいえ、私は現状の、あまりに政治に対する関心の低い社会の雰囲気を「しかたない」としてしまいたくはありません。今、日本社会は戦後以来の大きな転機を迎えており、そのことを知ることなく、その決定に自分が影響できると気づくことすらなく、ただ流されているだけの人が日本に半数以上いることは、変えなければと思っています。しかし、その目的は無関心層への理解と共感なくして、達成されることはないでしょう。私にも、政治にまったく興味のないたくさんの友人たちが居ます。しかし、彼らはけっして鈍かったり愚かだったりするのではなく、自分の将来に悩み、生活に一生懸命で、友人と喜びを分かち合い、正しいことを称賛し、悪いことを憎むふつうの人々です。そのことを忘れてはいけないと思います。

では、これからどうしていけばいいのか。どうすれば私たち一人一人が主権者としての意識をもって政治に参加できるか。正直なところを言うと、まだわかりません。それを考えるために、「アイポス」に参加しました。これからも、少しずつでも意見を発信していこうと思っています。

1992年生まれ。西南学院大学経済学部卒。