書評

コラム / 記事

ある好事家の書評② 山元七平『「空気」の研究』

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「空気」の支配と「抗空気罪」    現在の日本を支配しているのは「空気」である。このように感じる人は少なくないだろう。もちろんこの場合の「空気」というのは、単なる「大気中の気体」というような物理的な意味ではない。「空気を読めよ」というときの「空気」である。学校での友人との会話や職場での会議などにおいて、目には見えないが必ず従わなければならない「何か」に縛り付けられ、自分の本心とはまったく異なることを言わざるを得なかった、という経験は誰にでもあるだろう。   数年前、「KY」(空気が読めない)という造語が流行したが(現在でもしている?)、事実、日本では「空気」が読めないことは一種の罪であり、その罰として陰に陽に社会的な制裁を受けることがある。これにより、日本人は「空気」を読むことに敏感になり、周囲に迎合することが一種の美徳とみなされるようになる。もしそれに抗するような言動をとれば「抗空気罪」として「村八分」という仕打ちを受けることとなる。    では、この「空気」とはいったい何だろうか。なぜ、どのようにしてそのようなものが発生するのだろうか。それは日本社会にしか存在し…

コラム

ある好事家の書評① 中井久夫「いじめの政治学」

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すべての良書を読むことは、過去の時代の最もすぐれた人々と会話するようなものである。                                                                            (ルネ・デカルト『方法序説』)     私たち一人の人間の見識は極めて狭い。その道のどんな一流の者であろうとも、彼・彼女が知っていることなど、この世の中に存在する事柄のほんのこれっぽっちにすぎない。しかも、私たちは、先人たちと同じような失敗を性懲りもなく繰り返し、後ろを振り返ってみると、自分と同じような過ちを犯している者が多くいることに気づく。なぜ人間はこれほど学ばないのか。なぜ人間は同じ愚挙をこれほどまでに繰り返してしまうのだろうか。   上に掲げた短い題辞が示すように、私たちは謙虚さとひたむきさをもって先人たちに教えを請わなければならない。自分が犯した失敗は、すでに誰かが同じように経験している。自分が着想したことがらは、すでに誰かが同じようなことを考えている。先人たちの諸経験は、良きにつけ悪しきにつけ、私たちが多くを学ぶことができる宝箱のよう…

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